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読書や学びの記録用

体の不調探しをやめるには

精神的に落ち込んでいる時は体の不調に過敏になります。なりすぎるといっていいでしょう。そんなときは、一時的な腹痛でも大げさに捉えてしまい、「熱も出てるのではないか」「他の部分にも苦しいところがあるのでは」と不調をより探してしまいます。

体というのはおかしなもので、その不調探しに答えてくれて、すこし熱があるように感じてきたり(実際に発熱する場合と、発熱はしないが熱いと感じる場合がありました)、頭がいたくなったり、重くなったりしてくるのです。

私はなんとかしてこれに対処しなければ、日常生活が楽しくないなと思いました。そもそもこれに対処しなければと考えている時点で楽しくないのですが、考えないようにしても湧いてくるものなので、まず処置を行うのです。

そこで、不調探しが頭の中で始まったときに自身にこう問いかけるようにしたのです。「これはほんとに体の不調?それとも不調探ししてる?」と。はじめのころは特段かわりなく、不調探しは続いていたのですが、問い続けているうちに「あれ?今ってそこまでしんどいのかな?」とか「どうやったら楽になるかな?」といったふうに不調を探すことから、別のよりよいことを探す方向へシフトしてきました。

有り難いことに、毎年季節の変わり目に体調を崩していた私が、今年はまだ崩していません。(この問いかけのおかげかもしれません)

眠れないときに起こる不安

不安に思って、不安に苦しんで、何もできない時間なんて辛いだけです。そんな時間をなくせるならば、一刻も早くなくしてしまうのがいい。だけど、できることをやってもそういう時間がくることがあります。

夜、眠りについて1時間、2時間、3時間と経っても一向に眠れないときがあります。そんなとき待ち構えていたかのように不安が襲いかかってくるのです。このまま眠れなかったら自分は死んでしまうのではないか、といったことや、今日眠れなかったら明日はしんどいだろうな、といったことを考えて、その先の悪い想像をして苦しくなって、怖くなって、さらに不安は増していくのです。

それが3,4日や1週間以上続いてしまうのであれば、仕事をこなしたり、学校に行くのが非常に困難になるので、睡眠薬などの服用も早めに考えるべきである。

ただし、私の場合でいうと長く続いて2日ほどであり、眠れるときはぐっすり眠れる。朝の散歩は行っているし、朝食も最低限バナナを食べているし、夜もできるときはジムにいって体を動かしている。お風呂も大好きだから、ほぼ毎日入っている。今自分にできることはやっているつもりです。

やっているつもりだからこそかもしれないのですが、「これだけやったのに眠れない」という恐れが生じているのではないかと思います。アホらしいと自分で思いながら、まぁその不安が生じているときには、その恐れは非常に正しい恐れのように思えているわけです。

こういう時いくつかのことを考え気を落ち着けます。

  • 横になっているだけで、疲れはとれるということ。
  • これはただの不安であり、「眠れなかった場合、翌日だるい」ということを除けば事実になりえないということ。
  • 考えれば考えるほど、不安は増殖するものであること。
  • 他のことを無理やり考えようとしてもだいたいうまくいかないので、深呼吸や柔軟など体的な動きによって、不安の噴出をすこしでも防ぐこと。

上記のようなことを言い聞かせるようなつもりで考えています。だからといって、眠れるようになるわけではないですが、パニック発作につながることは避けられているように思います。最近も一度眠れず、不安感が瞬間的に増加し、あわや発作が起きると自分で思いましたが「大丈夫、深呼吸して、この恐怖は一時的なもの。すこしの間一緒にいれば、落ち着いていく」と自分に語りながら、呼吸に集中することで事なきを得ました。(ここまで発作になりかけて、退けたことは無かったのでまた一つ自信がついたように思います。)

最悪なことは、不安の増加が止まらずに、今その瞬間生きていることが非常に怖くなってしまうことです。そうなると不安はとどまるところを知らない様子で、夜中も昼間も関係なくあらわれて、翌日も翌々日もと眠れなくなったりしていくように思います。

人間、食べなくて死んだ、水を飲まなくて死んだ、空気を吸わなくて死んだ、という人は悲しいことにありますが、寝なくて死んだという人はいないそうです。寝ない日を続けていても、いつか強制的にシャットダウンさせられるようなのです。

そこまで起きていると、日中も非常にしんどいはずですから、避けたいですが、とにかく死にはしないのです。だったら自分にできることは、不安に好きにさせないこと、ただこれだけです。

これだけなのに難しいから困るのですが、おすすめは体を動かすことです。激しい運動だと、眠るのが難しくなってしまうので、柔軟や深呼吸がいいと思います。マインドフルネスを続けていれば、こういうときにそれに集中することで、不安について考えることを止めたりもできます。

まぁ世の中なるようにしかならないので、最善のことを行って、後は天にまかせるのみです。

プロフィール画像を設定しました笑

プロフィール画像を設定してみました。 ここ1~2ヶ月ほどIllustratorを学習中で、基本的な使い方を学んでいるのでそれを利用して画像を作成しました!

見て分かる通り、絵のセンスはゼロです。いいんです。基本的な使い方、ベクタ形式とラスタ形式の違いがわかるようになり、それぞれの拡張子の違いがおおよそわかるようになってきので!

気が向いたら今後もちょくちょく、ブラッシュアップしていきたいなと思いながら、性格上なかなかしないだろうなと思っています。

死について思うところ

1,2年前まで、私は死ぬのが怖かった。死んだ後も私という意識が存在し続けるかもしれないということがあまりにも恐ろしく感じられたからだ。「生まれ変わる」というとなんだか良い印象を受けるがそう思えなかったのである。

死んだ後も、誰とも話せない状態でこの地球上に意識だけは残っていたら嫌だ、とか、生まれ変わってまた生を営むというのも苦しい。それはこの世が地獄であると考えていたからかもしれない。(今もこの世が地獄という認識はあまり変わっていない)

そんな私も気がつくとすこし意見が変わっていた。生きるも地獄、死も地獄であるとは思うものの、生あるうちはできることをすればよく、死んだ後ももし自意識というものが会ったならばそのときにできることをすれば良い、というかそれしかできないじゃんと開き直ったのである。

その開き直りに至るまで、十数年かかっているのだから、馬鹿だなーと自分で思う。

先程も述べたとおり、私は、生きるも地獄、死も地獄だと考えている。しかし一方で、生きるも救済、死も救済とも考えている。

死んだ後どうなるかわからないというのは非常に怖いことでありながら、とてつもなく救いでもあるのだ。先が見えないからこそ救われるということである。自死というのがあるが、私はその選択を行った人をおかしな存在だとは決して思えない。

彼ら彼女らにとって、その時に死を選んだのは彼らなりに最善であったのだろうと思う。死を選ぶ時、それは迷いに迷った末の決断であったり、ふとした拍子に突然今ならできてしまうということもある。自死を思いとどまって、人生が楽しいと言っている人がいるがそちらの意見だけ声高にされてもちょっと不公平である。死んだ人の声が聞けないので仕方がないのだけれど。

十二国記で神様が実際に目に見える形で存在し、しかし神様は何もしてくれないという描写を見た時ハッとした。わからない、確認できないということがどれほど私達にとって必要なものであることか、をまざまざと見せつけられたように思ったのだろう。

そしてこれは死に対しても言える。もし死後の過程が分かってしまったら自死が当たり前の世界になるか、生にすがりつこうとするか、あるいは死後も何も変わらないことを知り、これまで通りの生活を送るかのどれかになるのではないだろうか。

ほとんどが負けると分かっていても宝くじを買ってしまう人が、いるのはそれでも当たる可能性があるからで、自死を選ぶ人は、現在よりはマシな未来が待っているあるいは、今を生きていることが何よりも辛いということなのだろう。なんとなくの不安というのも自死の原因の1つであるが、これもその時不意に訪れ、今生きているより死んだほうが楽になれると思わせてくる要因の1つに思う。(私はこの不安について知っていると思っているが、実際には全く別の不安かもしれず、そうであった場合には経験がないので何も語る権利を有していない) そして、この自死のためには、やはり死の先が不確実であることが何よりも重要である。

このように書いてきたが、死ぬことを推奨するつもりはないし、生きることを推奨するつもりもない。ただ、死んだ後はわからないので、生きられるだけ生きたほうがよいと考えており、その後に死んでも遅くないと考えている。生き続けた先に救済があるかもしれないし、死んだ後に救済があるかもしれないと考えている。どちらにも救済はないかもしれない。

恐怖症との付き合い方

私と恐怖症

人に会うのが怖い、人とご飯を食べるのが怖い、コンビニやホームセンターの商品を吊るしている鉄の棒が目に入ってきそうで怖い、突然死ぬかもしれないと強烈に感じてどうしようもなく怖い。

怖いものを数え上げればきりがないほどでてくる私ですが、これらとの付き合い方が今年からある程度わかってきたように思います。

偶然の出会い

去年まではとにかくがむしゃらに治そうとしていたのですが、一向に良くならずで自分の人生を悲観するばかり。気がつけば人生初のパニック発作が起きて救急車を呼んでもらったりもしました。その後、生活習慣を改善していく中で自分の生き方を振り返り「このままではいけない」と思いました。

かといって、どうすればよいのかもわからずだったのですが、あるとき森田療法の生みの親である森田正馬さんの本を紀伊國屋書店で偶然見つけました。

新版 自覚と悟りへの道―神経質に悩む人のために という名前からはいかにも宗教チックな印象が漂っていました。私は原始仏教が好きなので、「自覚」「悟り」というワードに大変反応してしまったのです。神経質とは何をさすのかその頃は全く考えも及ばず、中身の目次すら読むことなく本を購入したのです。

恐怖が湧くのは自然のこと

読み終わると「あぁなんと良い本に出会ったのだろう」とその出会いに感謝しました。私が恐怖というものに如何にとらわれていたのかが、ページを進める度に実感されたのであります。

恐怖というものが生じるのは自然であり、それに対して過敏になることこそが問題である。恐怖を消そうとするのではなく、恐怖とともにあるという生き方にようやく気がついたのです。

恐怖を消したいという思いも自然に沸き起こるものです。それも全く否定する必要はなく、消せる恐怖であるならばその努力をすればよし。消せない恐怖でなかったり、努力してまで消したいものでないならばただその恐怖を受けいればよい。そう思えたのです。

学びと実際

前述のとおり、コペルニクス的転回とでも呼べそうな学びを得た私でありますが、残念ながらそれをすぐさま実践できるような人間ではありませんでした。

恐怖に怯えさらに恐怖が増すという現象は、学びを得た後にも何度も起きたのです。しかし、その後の対応が変わってきました。あのときは、そこまで恐怖に怯えなくてよい、あるがまま今できることをすればよい、というかそうすることしかできない。できることをやって、さらに不安に思ったりする必要はない。

このような思考に次第に変わってきたのです。現在の私は、まだ人に会うこと、人とご飯を食べることに対して恐怖感を持っています。それにより熱がでたり、体調が悪くなったりするのです。

しかし、以前と比べるとその程度は見違えるほど軽いものになっています。そして、今後ますます改善していくように思えるのです。(もし悪化してもできることをしていくだけなのです。悪化したことに対して嫌な気持ちも生じますが、それは自然なことです。ただその時その時の事故の最善を行うようにするだけなのです。)

恐怖症との付き合い方

以上のようなことがこれまでの私の恐怖症との付き合いになります。具体的にどういうふうに考えようとしているのかや、どういうことをおこなっているのかを箇条書きにしてみました。

日常系

  • 生活習慣を良くし、継続する
  • 睡眠時間を7.5h確保する
  • 体を動かす
  • 朝に散歩を行う
  • 人と話す(基本週3程度電話をしています。もう少ししたら、人とご飯に行くを増やしたいです)
  • 日記を書く

しんどくなったとき

  • 無理をしない
  • 精神的なものか、肉体的なものか特定する
  • 深呼吸する
  • しんどさを数値で記録し、以前と比較する
  • 以前しんどかった時の日記を読む(現状分析のため)
  • いまできることを考える
  • リラックス音を聞く(Endelというアプリがおすすめです!)

上記のような感じです。日常系もすべて完璧にこなしているわけではなくて、できない日も全然あります。1週間のうち半分以上できたら、上出来という考えです。

しんどくなったときは、できる限り休むようにしています。ただ精神的なものであれば、いけそうと思ったらすこしだけ無理をするようにしています。(系統的脱感作法のつもり)

【読書】メンタルの強化書

私はメンタルが強いとは言えない。親戚に私と同じくパニック障害持ちの方がおり、兄は双極性障害で精神病院に入院していたこともある。(何度かお見舞いに行ったことがありますが、「あぁ、自分の知らない世界はまだまだあるものだなぁ」と思った覚えがある。)そして、この記事

私とパニック障害 - ワイログ

に書いたとおり私自身メンタルクリニックにお世話になった。(またきつくなったら来てくださいとのことなので、今は行っていない)

すこしでも自分の状況を改善するべく、この本を手にとった。

概要

佐藤優著、「メンタルの教科書」(以下、本書)では、メンタルの問題を遺伝的なものと、環境によるものに分けている。メンタルを強くしたいなら、自分自身の内面を強くすること、自分のいる環境を良くしていくこと、この2つが大切というのが本書の主張だ。内面を強くするといっても、どんなパワハラにも屈しないようになれ!と言っているわけではなく、しなやかな強さが大切らしい。これは、私の好きな本である

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び (日本経済新聞出版)

と同じ主張だ。挫折や絶望というのはどんな人生にもあるといえ、それに対してどう対応するかで人生の捉え方は変わってくるように思う。そして、その対応方法は、その人がレジリエンスに関する知識を持っているかどうかで大きく変わるだろう。

他にも本書では、メンタルの問題を現在社会における問題と合わせて考えていたり、他国の考え方と比較している。特に自己責任論についての話は非常にためになった。

以降は本書を読んでいて、考えたことや思いついたことだ。(内容は必ずしも本書の内容と一致しない)

今後、少子化、高齢化がますます進み、国内の需要の減少、国政財源の問題など、あらゆる面でいくつもの問題が浮き彫りになってくるように思う。それは、これから先日本で長く生きるだろう若者にとって、これは悪夢以外の何物でもない。

すべてを悲観してみるべきではないことは事実であるが、人間は楽観より悲観のほうが強くなってしまう生き物であるらしいので致し方ないだろう。

悪夢は、不安を呼び、不安はさらなる不安を呼ぶ。悪夢は止まらない。そんな状況で、私はどう生きるべきなのか。それを考えるべきだろう。

今後環境が悪化していくなかで如何に生きるべきか

日本が経済的に落ち込んでいくのは間違いないが、まずそこを考えて行動する必要はない。基本的に多くの人はまず、基本的な環境の悪化をまず改善するべきだ。睡眠習慣が悪かったり、食生活が悪かったり、運動習慣が悪かったりなどだ。

これを完璧とまでは言わないまでも改善してからようやく、日本が落ち込んでいくなかで不安に囚われすぎず、自分の望む生活へ向かう準備ができるわけだ。

コントロール可能な環境を改善する

環境には、自分でコントロールできるものとできないものがある。明白に2つに分けられるものではなく、2種類の間は連続している。緑色と青色の間に無数の色が存在しているようなものといえばよいだろうか。

例えば、寝起きの時間を変えることは、だいぶと自分でコントロールしやすい。(ただ仕事で夜勤があるなどであれば、コントロールできない方に分類される)あるいは、転職するであれば、コントロールできないわけではないがその時の世情に左右される部分もあったりする。

自分のメンタルの現状にもよるが、何も手に付かない、常に吐き気がしているなどがない限り、なるべくコントロールできるところから手をつけていくべきだ。そして一つ一つ改善を行い、コントロールできないものに近いものも変えていく。

そのためにはまず、現状の環境にどんな問題あるのかを列挙する必要がある。不安なこと、困っていること、改善したいことについて1時間程度とにかく書き続ける。できるだけ多いほうがいい。続いて、それを簡単に変えられるもの順に分類する。(追加で重要度の2軸で分類できればもっとよい)

ここまでくればやるべきことは決まったも同然。すぐにたくさんやるべきではない。簡単に改善できることは、簡単に改悪できてしまうものでもあるので、ある程度習慣になる程度は専念して続けるべきだ。(習慣になるために必要な日数は1ヶ月とも2ヶ月とも言われている。)

悪化していく環境で生きるには

悪化していく環境でいきるには、結局のところ自分の望む生き方ができればいい。問題は、自分の望む生き方が分かっている人などごくごく少数なことだ。(その日その日で変わるものでもある)自分の望む生き方を知るには、自分に正直になるしかない。社会がどういう方向に向かっていようと、社会的に正解な生き方がどれだけ主張されていようと関係ない。自分の欲望に真に正直になるのだ。(この考えは、森田正馬氏のあるがままの考え、欲望に忠実であるべきとの考えからきている。)

人生如何に生きるべきか、私自身ここが実は定まっていない。なので、たいしたことは言えない。以前は幸福に生きることが人生で一番大切だと思っていたのだが、幸福とはなんだろうかと悩み始めた。(なのでいろんな人の幸福論を読んでいるところだ)

私なりに言えることは、まず自分がどういきたいのか、自分が何をしていきたいのかを決めることだ。どんな突拍子もないこと、他人から否定されそうなことでも構わない。思いつかなければ思いつかないで問題ない。(そういう人は、今の環境で変えたいところ、変えられるところを変えていくことだけでいい。楽しいことをできる時間をもっと増やすようにするとかなんでもありだ。)

自分の中で決まったら、それを実現するために今できることを考えてみる。すぐに行動に移さなくていい。できることを何度も考え、頭の中で具体的にイメージできるようにする。それを続けていった後、実現のために行動を起こすか、起こさないかは自分次第である。

まとめ

本書は様々な社会の現状を取り上げ書かれている本なので、その分あらゆる方面に思考をめぐらすことができて面白かった。ただ、メンタルを強化したいと考えている人が読むと、話が散らばっているように感じてしまうかもしれない。

メンタルの強化書

メンタルの強化書

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

私とパニック障害

それは突然だった

私は去年の冬、人生で初めて救急車で搬送された。朝起きると突然動悸が激しくなり、自分の体を自分でコントロールできなくなった。幸いにも友人宅だったので、救急車をすぐ呼んでもらえた。

搬送先で血液検査等を行ったが、原因不明だった。搬送される以前から、不眠や風邪気味であったのでそれも要因であったと思うが、最も大きいのは自分のメンタルの方なのではないかと思った。不安による不眠や、体調不良のような症状がもともとあったためためである。そのため、メンタルクリニックに行くことにした。結果としては、パニック障害と診断された。

救急車で運ばれてから、メンタルクリニックに行くまでには2週間ほどの機関があった。その間、不安で外出できなかったり、人と会うのが怖くなったりと日常生活への影響が大きくでていた。これはどうにかしなければと、自分なりに生活改善を行っていた。(特に樺沢紫苑氏の睡眠、運動、朝散歩という言葉には大変救われたと思っている)

そのためか、クリニックに行くときには、パニック発作などが起こることもほとんどなくなっており、お守り代わりの頓服薬をもらう程度に終わった。予期不安は、変わらず発生していたので(これは倒れる前からあったが、倒れてからの間もないときには不安の量が桁違いで自分の気が狂ってしまうのではないかという症状であった。眠れないだけで、自分が死んでしまうような不安に押しつぶされそうになったことも今は懐かしく思う)

倒れてから現在まで

倒れてから、半年ほどたった現在、生活習慣も以前より大きく改善し、搬送される以前の自分より良くなった面も出てきた。特に気分の良い日のパフォーマンスは、大きく上昇したように思う。

ただ、人との外出に対する不安感は残っている。(といっても、誰かと外出すると考えると、体を動かすのが容易でなくなったり、熱が出たりする程度のものである。)ただこれも、毎日良くなっているわけではないが、3歩進んで2歩下がると行ったような感じで、良くなっている。

この状態にくるまでに、樺沢紫苑氏やテストステロン氏などの読みやすく実践しやすいことが書かれている本を読んだり、森田療法の生みの親である森田正馬氏の本を読んだりしてきた。そこで感じたのが、基本の重要性である。具体的には、以下のようなことである。

  • 現代社会の情報過多に引きずり込まれ生活を乱さないようにすること
  • 朝に起きて、夜に寝る
  • 朝昼晩をしっかり食べ、野菜もしっかりとる
  • 運動を定期的に行うこと
  • 日を浴びること(在宅だったので、あまりあたれていなかった)
  • 今持っている不安を書き出し、視覚化すること

もちろん全部を完璧にこなす必要はないのだが、できることを1つずつ増やしていった結果非常に状態が改善していっている。

今後の目標

  • 日々の改善

現在に至るまでの間に生活習慣は大きく改善できたと思っている。しかし、まだまだ改善できる点は残っており、悪化しないようメンテナンスを行うべきでもある。特に、睡眠時間、起床時間は油断をするとずれてしまう。

そのため、日々の内容をノートに記録し、改善すべきと思ったことを書き出す。すべてを実現する必要はまったくなく、自分が一番すべきと思ったことをできる限りやるのみだ。

  • 脱自己嫌悪

自己嫌悪は、弱ったときにやってくる。自己嫌悪することにより、自分自身の安定を保とうとしているわけであるが、まったくもって逆効果である。まず、自己嫌悪になりづらい心身の状態をつくる。(なるべく弱らない状態になること)

次に、弱ってしまった場合に、それを客観的に素早く察知し、抵抗せず休めるようになること。以上の二点を目標にしている。

  • 遊ぶ

心身の不調で遊ぶ元気も無かった。これからはとことん遊んでやろうと思っている。登山、釣り、運動、レーザーハープの自作などやりたいことを一つひとつやっていく。

今後も定期的にブログに自分の状況を記録していこうと思う。